弊社は大正6年の創業以来、一貫して板金加工業として歩みを続けてまいりました。
これからもお客様の多様なニーズにお応えすべく、自社で培ってきたノウハウと新しい技術とともに一歩一歩進み続けます。
本社工場:3,076平方メートル
本社・第一工場~第三工場3棟合計:延1,621平方メートル
事務所:80平方メートル
所在地:岐阜県郡上市高鷲町大鷲八百増 (ニューパークひるが野)
敷地:660平方メートル
建物:木造一部鉄骨造2階建 延100平方メートル
株式会社山田工業所は、企業として地域社会との関わり及び周辺環境の影響を確認し、金属製品・加工などの事業を進める上で地球の環境保全に貢献することを目指し、以下の方針に基づき環境活動を行います。
生産財(鉄・ステン・アルミ)の削減を目指し、原材料を節約します。
生産効率を上げ、電力等の省エネルギー活動を推進します。
産業廃棄物の削減と適正管理をします。
5S活動(整理・整頓・清掃・清潔・躾)を推進します。
この環境方針の達成のため、環境目的・目標を設定すると共に、定期的に見直し、全従業員をあげて環境管理を推進する。
溶接、リフト他、各種資格取得のための研修制度を設け、熱意ある従業員のキャリアアップを支援しています。
HSC (全国人材支援事業協同組合) の外国人技能実習制度を通じてベトナム人研修生を受け入れ、当社従業員の指導の元、技術の向上に努めています。
大正6年1月 | 名古屋市中区矢場町 (現 中区栄3丁目) に亡会長山田弘吉が山田銅工所として個人創業。 |
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昭和23年3月 | 機械部品、軽スクーター、バイク等の部品板金加工、ショーケース弱電部品等の各種板金ケース類などを生産。 |
昭和25年3月 | 企業の発展を期し、法人組織として、有限会社山田板金工業所と称し、創立者山田弘吉が代表取締役に就任。 |
昭和35年7月 | 創立者山田弘吉は取締役会長となり、山田芳弘が代表取締役に就任。 |
昭和36年1月 | 株式会社山田工業所と社名変更、代表取締役を山田芳弘が引き継ぐ。 |
昭和36年9月 | 増産、合理化体制をとるため、新工場建設予定地を愛知郡東郷町諸輪に求め、敷地3,075.6平方メートエル確保。 |
昭和39年9月 | 第一工場竣工。一部の班稼働。 |
昭和42年6月 | 第二工場 (現第三工場) 及び事務所竣工。同時に本社工場を東郷町に移転。 |
昭和45年8月 | 社員の福利厚生施設として、岐阜県郡上郡ひるがのニューパーク別荘地に二階建て山荘竣工。 |
昭和47年4月 | 資本金1,050万円に増資。 |
昭和50年3月 | NCターレットパンチプレス設置。 |
昭和50年5月 | 日東工業株式会社と取引開始。 |
昭和57年6月 | リンナイ株式会社と取引開始。 |
昭和60年 | パワープレス新規設置 |
平成2年 | NCT自動搬送装置 (マニプレーター) 完成。 |
平成6年 | 山田芳弘は取締役会長となり、山田耕三が代表取締役に就任。 |
平成11年11月 | 日本通信電材株式会社と取引開始。 |
平成13年1月 | マルヤス工業株式会社と取引開始。 |
平成17年 | 三菱二次元レーザー加工機設置。 |
平成19年 | 専用倉庫完成。 |
平成23年 | アマダEM2510ターレットパンチプレス設置。 |
平成27年 | ベトナム人研修生の受け入れを開始。 |
平成28年 | アマダEMZ3510MIIターレットパンチプレス設置。 |